学校の始まり
【明治時代】 学校発祥の地の一つ【大正時代】
【昭和時代】
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「神島田」の由来
一説には、唐臼、中一色は、古くは津島神社の社領としてその支配下にありました。津島神社の祭神は「牛頭(ごず)天王」であります。そのため川祭りに使用される「神葭(みよし)の神事」の葭(よし)を、中一色の日光川の川沿いで採集していたことから、この地は「神田」と呼ばれるようになり、そして、この辺りは地形的に「島」のようになっていたところから、『神島田』という名称が生まれたのではないかと考えられています。
もう一説は、唐臼神社には「牛頭天王」がまつられており、津島神社の一字の「島」、中一色神社には「天照大神」がまつられているので伊勢神宮の「神」、鹿伏兎神社は「熱田社」で熱田神宮と深いつながりがあり、この「熱田」の一字「田」をとって『神島田』という名称になったとも言われていますが定かではありません。いずれにせよ、言えることは「神」と縁があることは間違いないと思われます。
「神島田小学校」の歩み
明治42 海東郡永和北尋常小学校として開校
明治45 新築校舎に移転 校歌制定
昭和16 海部郡永和村北国民学校と改称される
昭和22 永和村立北小学校と改称される
昭和31 津島市立神島田小学校と改称される(津島市合併による)
昭和32 校章が決定される
昭和33 新校舎竣工
昭和34 伊勢湾台風により避難 高台寺小、北小にて授業を行う
〃 12月 本校にて授業再開
昭和35 アメリカ映画女優シャリー・マックレンさんより愛のピアノ搬入される
〃 二宮金次郎銅像移転改修
昭和38 プール竣工
昭和40 文集「みのり」発刊される
昭和41 校旗披露 校歌発表会を行う
【作曲 薗田恵一郎(愛知学芸大 )作詞 長谷川春一(校長)】
昭和42 講堂改築工事
昭和45 新校舎鉄筋3階竣工
昭和48 PTA研究委嘱を受ける
昭和49 増築校舎6教室分竣工
昭和50 県教委「義務教育問題の研究」委嘱を受ける(~昭和51)
昭和53 東館8教室分竣工 校内放送設備整備
昭和54 広島被爆遺品資料巡回展示会を行う
昭和56 神島田交通少年団結団式を行う
昭和59 校地拡張がはじまる(校舎西側)
昭和61 老人宅慰労激励訪問がはじまる
昭和62 安藤病院へ年賀状の贈呈はじまる
昭和62 交通安全パレードがはじまる
平成 元 管理棟、西館増築竣工 安藤病院訪問演奏会がはじまる
平成 2 安藤病院に加え恵寿荘訪問演奏会がはじまる
平成 3 ボランティア活動で県より感謝状受賞
平成 4 体育館完成竣工
平成 6 国体炬火リレーに参加 交通安全功労者表彰を受ける
平成 8 NHK学校放送研究委嘱を受ける
平成 9 新プールが完成する
平成10 日時計除幕式を行う 県青少年赤十字加盟校となる
平成11 コンピュータ教室ができる
平成13 運動場東側フェンスが完成する
平成14 フッ化物洗口がはじまる
平成14 青少年赤十字活動研究推進校の委嘱を受ける
平成22 地域にはたらきかける学校づくり推進校の委嘱を受ける
研究のあゆみ
昭和61年度 豊かな心を育てる活動推進事業(~62年度)
昭和63年度 豊かな心を育てる活動自主推進
平成 8年度 NHK学校放送研究「楽しく学び合える学習活動を追求しよう」
平成 9年度 愛知県視聴覚教育研究協議会指定校
平成10年度 「楽しく学び合える学習活動を追求しよう」
ー生きてはたらく確かな学力の育成を目ざしてー(~11年度)
平成12年度 自ら課題を見つけ意欲的に追求する児童の育成
ー総合的な学習の時間の創造を通してー
平成13年度 気づき 考え 追求する児童の育成
平成14年度 「協働する学びを通して新しい気づきに向かう子どもの育成」
ー生活科・総合的な学習等を通してー(~15年度)
平成22年度 地域と共に生きる心豊かな児童の育成を目指して(~23年度)